Believe, even if you're the only one

ただただ趣味や日常を書き綴る雑多なブログ

今から20年後

なんとなく日常に流され、平凡な毎日を過ごし、目立った成果もあげれず、当初に期待していたほどの人生を送れず、冴えない日々を過ごすある日、当然神様が現れる。

 

神「お前は後悔してるのか」

私「...」

神「ここにタイムマシンがある。乗るか」

私「精一杯やり直します」

神「よろしい。すべてをリセットし、20年前に戻してやろう」

 

今日も頑張らないと。

 

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腕立て伏せ30日連続チャレンジ 14日目

だいぶ日が空いてしまったけど、実は細々と続けている腕立て伏せ。笑 と言っても6月は頓挫してしまったので7月から心機一転。なぜ今は2週間終了で明日から3週間に突入。ちなみに回数は30回。

なぜ14日目にブログを再開したのかというと、1週間だとあまりにもアップデートするにはザコすぎて、2週間続けてやっと習慣化(帰宅→まず腕立て)できたような気がするので、もうそこまでさぼることもないかなと思って。笑

2週間目の進展と言えば、傾斜がついたこと。1週間たったころからだんだん負荷がたりないなぁと思い、2週間目からは椅子に足を乗せて傾斜をつけてやり始めた。

 

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上記のような椅子に足をのっけて。

結構きついなぁと、先週始めたときは思っていたけど、今日は割と悠々30回クリア。正直身体の見た目に変化はあまりないけど、見えないところで筋肉はついてきたんだろうなと実感している。

あとは副次的に、傾斜を使うといつもより腹筋も使うため同時並行で腹筋も鍛えれるということが判明した。これは一石二鳥だな~。

恐らく、1か月ごとぐらいに体の変化が現れそうな気がする。いつか人前に見せれるぐらいの身体になればその変化の推移も見せるな。笑

9年前のあの頃は。

自分はOne Ok Rockの大ファンである。かれこれファン歴9年ぐらいになり、そんなOne Ok RockのTakaが渚園のライブで放ったセリフが大好きだ。

「僕らメジャーデビューして9年になりますが、これだけの光景が、まさか今日この日に広がるとは9年前のあの頃は、、、しっかり思ってました。
 
ちゃんと思ってました。いつかこの光景が俺らの目の前でワンマンライブで繰り広げられることを確信してました。
 
(中略)前を向いて諦めずに突き進むという気持ちだけは、少なくともこの会場にいる誰よりも僕らがもっているはずです。
 
この気持ちがこの5万5千人の中の1人にしか伝わらないかもしれない。0人かもしれない。2日通して0人かもしれない。
 
分からないけど、それでも僕らはこれからこの想いを届け続けて、声が出なくなるその最後まで届け続けて、そして自分たちを超える世界規模のやつが出てくることを切に願っています。」 
自分もいつまでも、彼らのような熱い気持ちを持ち続けたい。周りの誰もが「そんなの無理でしょ」「現実を見よろ」って言っても、絶対に自分だけは自分を信じて生きたい。自分だけは絶対に自分の可能性を信じてあげないといけない。
 
必ず自分はできるんだって、誰一人信じなくても、応援してくれなくても、たった一人自分さえ自分を信じ応援し続け、そして努力し前に進み続ければ、必ずその景色が見れるんだっていうことを、自分を育ててくれた親や、自分の愛する人たちのために証明したい。
 
青臭くてもいいから、いつまでも夢や希望に向かって努力し続ける人間でありたいな。人生はいつでもどこでも、今ここからが本番だから。
 

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キャリアを積むということ

大学時代、ライフネット生命社長の岩瀬大輔さんの講演を聞いたことがある。その時に聞いて今でも忘れられない言葉がある。

「人生は大陸を横断する旅に似ている。大陸を横断するのは、歩いても、車を使っても、鉄道を使っても、飛行機を使っても構わない。昔はいかに早く、遠く、飛行機を使って横断することに価値があると思っていたけど、今はゆっくり歩いてその景色を楽しみたい」

そのようなことを言っていた。今の自分はそんなことを言える境地に立っているわけではないが、もう30歳も近いので自分のこれからの人生やキャリアや生き方を考えないといけないし、岩瀬さんが言っている「いかに早く、遠く」という言葉には、すごく共感を感じたものだ。

負けず嫌いで競争社会で生きてきたからか、どうしても「もっと上へ」「もっと遠くへ」「もっと早く」という思いが頭から離れない。少しでも自分が遠回りしているようものなら、全力で自己肯定を繰り返し、少しでも先を歩んでる人がいるなら、いかにしてそのギャップを埋めるかに無駄な皮算用をして。

そんな生き方が苦しくて、そうやって生きてしまうのが辛くなる時もある。でも自分ってそういうものだからと、いつまで経ってももその生き方は変わらない。

頭ではわかってる。自分が幸せであればそれで何も問題ないし、誰かと競うことが幸せにつながることでもないし、少しでも若く、少しでも早く自分の見たい世界に辿り着くことに何の意味があるのかもわからない。

最近は「どうやってキャリアを積んでいこうかな」なんて、答えのないことがずっと頭をぐるぐるまわっている。ずーっと考え続けては自分で「よし」って思って肯定しては、次の日には周りの人がきになって、また自分の道の正当性を裏付ける、みたいなしょうもない作業を繰り返す。そこには答えなんかないし、誰にも求められてないのにずっとそればっかりに固執している。

だからこそ岩瀬さんがいっている「歩いて横断」という考え方が大事なのかもしれない。自分でしか経験することのできない唯一無二の人生を、歩いて楽しむ。全ての過程を、全ての景色を楽しむ。そう思えるようになったらきっと人生はもっと幸せになるんだろうなって。

人生って、実はもっとのんびりしてもいいのかもしれない。迷ってもいいのかもしれない。歩いてもいいのかもしれない。そうやって自分を許すことから始めないといけないのかもしれない。

日々何気ない日常を大切にして、自分の好きなものを好きでいて、自分が愛したいものを愛して、小さな感謝を忘れずに、謙虚に、素直に、誠実に、そして自分の目標に向かって努力を積み重ねる。その歩みが遅くてもいいのだろう。

そうやって自分が見据える未来に向かって、一歩ずつ一歩ずつ歩んでいくことが大切なんだろうな。

何気なく過ごしているとあっという間に過ぎてしまう人生。でも、「こうありたいんだ」っていう思いをもって生きていると、またきっと違う世界が見えるはず。自分がどこを、どうやって、どのスピードで歩いているのかさえ分かっていれば、必ず自分の見たい景色に辿り着けるはず。

そんな自分の将来について、キャリアについて考えた週末。

横浜ランニング日記 22日目

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今日は最低10キロ!と意気込んだものの、あげくの5キロ。嵐だった昨日より距離が縮んでるじゃないか。。。

日中32度の中でのランだったから多少体力が削られるとはいったものの、かなり残念なランでした。なんでだろうね。

まぁでも人生のいいところは、一回きりじゃないってことで、また来週もチャレンジできるからね。

それにしても5キロしか走れない自分に失望しちゃうわ。真夏にサウナスーツ着て走るとこんなもんなのか。なんとなく喉もすごいカラカラになるし。体の危険信号なのかねぇ。何かと言い訳したくなるけど、やっぱり走ってる道もずっと同じだと飽きちゃうんだよね(笑)

あと今日は久しぶりに音楽なしで走ってみた。5〜6年ぶりぐらいかもな〜音楽なしで走るの。

「もっとこう考えてみよう」とか「自分の見てる世界ってすっごい狭いんだろうなあ」とか、今自分が気になってることリストのベスト10が上から総ナメ×5周ぐらいの勢いでリピートされ続ける。笑

でも良いのか悪いのか、結局どうしようってなるし、ゴール見えなくなるし、せっかく考えてたことが途中でシュンって頭から消えるし、紙に書かないと整理されてるのかすら分からなくなる。故に途中で思考が止まる、みたいな。何か考え事するには多分ウォーキングとかの方がいいんだろうね。

それにしても、中途半端に走ると帰りがしんどいですわ。今日も横浜市営バスのふてこいおっちゃん眺めて帰りますか。

横浜ランニング日記 21日目

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距離: 6.65キロ

気温: 27°

ランニング日記もサボってる間にいつのまにか21日目を迎えてました。

最近は使ってるアプリの調子も悪くて、10キロしか走ってないのになぜか15キロ走ったとかなったりしてて、真面目に走ってるのにテンションさがる。。。

このところ自分でハマってたのがランニングコースのリバースバージョンで、やっぱり景色変わると走る気分も変わる。そして今のルートには心臓破りの坂が7キロあたりに待ち受けてて…ここで汗が1リットルぐらい出るわけですわ。走った後は「もう絶対イヤ。こんなルート走りたくない」って思いながらもまたケロッと走りたくなるのが不思議な心理。

今日はというと、この1週間風邪で病み上がりのランでした。しかも療養中はくっちゃねくっちゃねしてたから、だいぶ身体が重い。。。

台風の影響で切り上げたものの、全くスピードが上がる気配もなく6.7キロでダウン。ペースも過去最高級に遅い。笑 1週間走らないとこんなに体力が減るものなのか。。

この一年走ってるけど、意識的に距離を伸ばすなり、早く走るなりしないと、絶対に成長はない。趣味で走ってるからそこまで求めなくていいけども、やっぱり距離が伸びないと、早く走れるようにならないと、面白くないよなぁ。ここからは「もっと早く、もっと遠く」のメンタルの世界だな。結局メンタルですか。もっと楽しくならないかなランニング。多分走るコースが悪いんだろうな。もっとテンション上がるコースを開発すれば距離は伸びるはず。

とまぁ一通り感想を述べたところでめっちゃどうでもいいけど、今日は野球の強豪校、智辯和歌山の高嶋監督のドキュメンタリーを見てて、毎週2回、20キロ高野山を登って色々考え事してるらしい。やっぱりあたまを整理する時間は大事ですな。まぁ高嶋さんは野球のこと考えれるけど、自分は何だろうと。あげく自分の未来やキャリアの話なんだよな。またどっかで時間をかけて書ければなとは思うけど、やっぱり習慣化が人生のテーマ。

それにしても横浜市営バスの運転手は強面ばっかだな。めっちゃふてこい人多い。そんなに関西弁が憎いか。

 

気配り名人

自分はもともと営業をやっていたため、いわゆる「気配り」というやつにはすごく敏感にならざるをえなかった。お客さんの気持ちをくみ取ったりすることが本職なので、しかもB2Cとなると、うわべの気配りではまったく気持ちも掴めない。

でも今まで気配りのきの字も気にしたことのなかったお山の大将人生で、そんなにすぐに気配りが上手くなるわけもなく、悲しいかな「気配り」にはずいぶん苦しんだ。

同期には「お母さん」って言われるぐらい気配りができるやつもいて、ほんと出来た人間だなぁと思い知らされたし、自分もこんな気配り名人になれたらいいなとも思ったし、でも同時に、自分の気配りのできなさに本当に辟易していた。

エレベーターに入っては開閉ボタンを率先して押せなかったし、飲み会では上司の空きグラスにも気付かなかったし、相手が何の銘柄のたばこを吸ってるのかもどうでもよかったし、ましては初めてもらった給料でお世話になった人にお返ししようなんて、微塵も考えたことがなかった。当時付き合っていた彼女も自分の気配りのできなさ(というよりは思いやりのなさ)で随分傷つけてしまったと思う。

そして転職してからは、もう営業じゃない!気配りしなくてもいい!みたいな謎の高揚感があったものの、やっぱりどこにいっても気配りが人生から切り離されることはなく、もはや「気配り=人間力」ぐらいのものだと、やっとこの歳になって気づいた。

相手を思う気持ち、それに尽きると思うけど、気配りができないと本当に人生辛いもんだなぁと。まぁでも、「自分は気配りができない」「でももっとできるようになりたい」と思えるだけで、まだ進歩する余裕はあるんじゃないかな。笑

気配りを習慣化する、しかも高いレベルで。これは人生で追及すべきテーマなんだと思う。優しさでもない、真面目さでもない、誠実さでもない、何とも難しいテーマなんだよな、気配りって。

気づかない人は気づかないし、気づく人は「こいつ気配りできないな」って思うし、そして気配りはできてもお金を貰えるわけでもない。相手がちょっと喜ぶぐらいである。でもなぜか、「相手がちょっと喜ばない」と、自分に失望してしまったりする。まぁめんどくさい人間だ。笑 

きっとシンプルに、「気配りできる人間」がかっこいいなぁって思うからなんだろうな。下心満載だけど、そんなかっこいい人間になりたいなと思う。