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気配り名人

自分はもともと営業をやっていたため、いわゆる「気配り」というやつにはすごく敏感にならざるをえなかった。お客さんの気持ちをくみ取ったりすることが本職なので、しかもB2Cとなると、うわべの気配りではまったく気持ちも掴めない。

でも今まで気配りのきの字も気にしたことのなかったお山の大将人生で、そんなにすぐに気配りが上手くなるわけもなく、悲しいかな「気配り」にはずいぶん苦しんだ。

同期には「お母さん」って言われるぐらい気配りができるやつもいて、ほんと出来た人間だなぁと思い知らされたし、自分もこんな気配り名人になれたらいいなとも思ったし、でも同時に、自分の気配りのできなさに本当に辟易していた。

エレベーターに入っては開閉ボタンを率先して押せなかったし、飲み会では上司の空きグラスにも気付かなかったし、相手が何の銘柄のたばこを吸ってるのかもどうでもよかったし、ましては初めてもらった給料でお世話になった人にお返ししようなんて、微塵も考えたことがなかった。当時付き合っていた彼女も自分の気配りのできなさ(というよりは思いやりのなさ)で随分傷つけてしまったと思う。

そして転職してからは、もう営業じゃない!気配りしなくてもいい!みたいな謎の高揚感があったものの、やっぱりどこにいっても気配りが人生から切り離されることはなく、もはや「気配り=人間力」ぐらいのものだと、やっとこの歳になって気づいた。

相手を思う気持ち、それに尽きると思うけど、気配りができないと本当に人生辛いもんだなぁと。まぁでも、「自分は気配りができない」「でももっとできるようになりたい」と思えるだけで、まだ進歩する余裕はあるんじゃないかな。笑

気配りを習慣化する、しかも高いレベルで。これは人生で追及すべきテーマなんだと思う。優しさでもない、真面目さでもない、誠実さでもない、何とも難しいテーマなんだよな、気配りって。

気づかない人は気づかないし、気づく人は「こいつ気配りできないな」って思うし、そして気配りはできてもお金を貰えるわけでもない。相手がちょっと喜ぶぐらいである。でもなぜか、「相手がちょっと喜ばない」と、自分に失望してしまったりする。まぁめんどくさい人間だ。笑 

きっとシンプルに、「気配りできる人間」がかっこいいなぁって思うからなんだろうな。下心満載だけど、そんなかっこいい人間になりたいなと思う。