Believe, even if you're the only one

ただただ趣味や日常を書き綴る雑多なブログ

すべらない話

いやー久しぶりの投稿になったなぁ~毎日書くとかそういう意思決定みたいなもんはやっぱりするもんじゃない。

でもなぜ自分が毎日書けなかったのかというと、それはもう意思が弱いとかじゃなくて、毎日続ける仕組みがなかったの一言につきる。まぁ言い訳か。

最近やたら会社で「すべらへん話しろ!」って言われてて、まぁ自分自身めっちゃおもろいわけでもなく、でもびっくりするぐらい面白くないわけでもなく、「チャレンジするけどそんなにウケない」みたいなポジション。 

上司からしたら「次はもっとおもろい話準備してこい」っていうのが継続的なあれなんやけど、まぁこっちとしても関西人魂でちょっと悔しいから、いろいろ準備するわけです。

1番手っ取り速いネタの仕入れ方は、どう考えても人志松本の「すべらない話」を見るしか思い浮かばなくて、去年も9月か10月頃インフルエンザなった時なんて、1週間ずっと小藪のすべらない話を見てたぐらい。

見るものとしても結構おもしろいけど、ただあの話がやっぱりかなり勉強になるんだなぁというのが、昨日ふと思った。結局話はストーリーが大事だと。ストーリーがすべて。それは仕事にも通じる。

ほんまに面白い話っていうのは、起承転結があって、やっぱりすべらない話は「結」が圧倒的におもしろい。

「そうくるか!」

っていうやつが、最高に面白すぎるし、結構しょうもないこと言ってるけど、「承転」が練りに練られてる。というか、話し方がうまい。そう、ここまでは今までも思ってた。

ただ、昨日風呂に入りながら、「あんなしょうもないネタで人を楽しませることできるなんて、兵動(第2代?MVS)神やなぁ~」なんて思ったけど、「いや、あんなしょうもないネタやったら、正直日常に溢れてる」って思ったわけで。

そう、しょうもないけどこれ使える、みたいなネタを、いかにして「結」にするのか、「結」が圧倒的に面白いのは「起承転」があってこそ、その「承転」をいかにして面白く伝えるか、っていうのが考えどころなんやなぁと。

多分、ショット断面(なんていうんやろう、瞬間的に面白い断面?)は、誰しも1週間に1回ぐらいは出会ってるはず。それをゴールにするには、どういう話の展開があれば人も面白いと感じるのか、その些細な出来事が、圧倒的な「すべらない話」として輝きを放つためにはどういうストーリーに仕立て上げたらいいのか、それは言い方次第であり自分の腕ひとつでなんぼでも変わるなと思ったわけです。

上司もよく言ってるけど、「プレゼンもお笑いも一緒やから」っていう一言。

うーん。確かに。深い。まぁおれはその上司からのすべらない話で一回も笑ったはないはおろか、話されたこともないから、何とも言えへんけど、まぁ言ってることは圧倒的に的をついてるしな。

だから、日常の些細な「Wow」をすべらない話にするためにも、頭を使ってストーリーを作り上げないといけないし、昨日も寿司屋行って「おしぼり下さい」って言ったら定員に「おっけー!」って言われて「はぁ、友達か」って思ったことも、すべらない話にするには尺短いなぁ~みたいな感じで切り捨てるのはあかんなと。まぁこの定員の話はほんまに短すぎてネタにもならへんから記憶の奥底に葬るけど。

ストーリーを面白くできるかどうかは自分次第、それはすべらない話も仕事も一緒やなと、感じた次第です。

シャコシャコ頭洗いながら自分のすべらない話を考えるために頭を使ったときの感覚が、仕事してる時の感覚とちょっと似てたからふと思いました。

芸人でもないのに何語っとんねん。

では。